なぜ一人の建築家の手帳に6万人が押し寄せたのか?
建築家・内藤廣。40年間の思考のすべて。
建築家・内藤廣の40年分の手帳が、一冊の本になりました。
内藤廣が独立して数年後となる1985年から2025年まで書き続けてきた手帳。
海の博物館、安曇野ちひろ美術館、牧野富太郎記念館、島根県芸術文化センター、
富山県美術館、高田松原津波復興祈念公園、とらや赤坂店、紀尾井清堂…。
すべてこの手帳から誕生したと言っても過言ではありません。
能率手帳に日々の予定やその時々で思いついたこと、記憶に残しておきたいこと、
旅先や設計中のプロジェクトのスケッチ、図面の赤字入れ、
仕事に関することやプライベートなこと、ありとあらゆる情報が集約され、手帳に貼り込まれていきます。
1年後には二倍から三倍の厚さになることも。
どんなときも建築的思考をやめなかった一貫した姿勢を感じ取ることができます。
普通の「能率手帳」になんでも情報を集約しようと思い立ったのは1985年、35歳のときからです。
なぜそんなことを思い立ったか定かではありません。
たぶん、「海の博物館」の仕事が精神的にも過酷で、自分を取り戻すために始めたのではないかと思います。
あれから40年経った今もそれは続いています。 ─内藤廣
*2025年に開催された「建築家・内藤廣 なんでも手帳と思考のスケッチ in 紀尾井清堂」展は
会期中週3日のみの開館にも関わらず、延べ6万人の来場者数を集めて大きな話題に。
その際に展示されていた40年分の手帳が一冊の分厚い書物になりました。